ワッキー スペシャルインタビュー | EAFF E-1フットボールチャンピオンシップ2022 公式試合球

SPECIAL INTERVIEW
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お笑い芸人

ワッキー

北海道出身。お笑いコンビ「ペナルティ」のボケ担当。相方であるヒデに誘われる形で1994年2月にペナルティとして芸能活動を開始。2人は全国屈指の強豪である船橋市立船橋高等学校サッカー部出身。特技はサッカーとタイ語。ワッキーの身体能力を活かした仕事も多く、「ワッキーダンス」「『ハイ!』というやたら良い返事」「芝刈り機の真似」「プニョンペン」「ヒゲグリア」「乳首がずれてるポリスマン」「マチカネタンホイザ」「オバケの救急車」などの持ちネタがある。

挑戦することの価値とは何なのか?
昨年6月に中咽頭がんの治療のため、休養に入っていたワッキーさん。
がん治療を乗り越え、今改めてエンターテインメントの舞台に立つワッキーさんから「夢見ること、そして挑戦すること」をテーマに、自身の生き方や思いを語ってもらった。
急にがんって言われても最初は信じられなかったですし、何かの間違いだと思いました。

――今回、中咽頭がんと診断された時の状況やそれによって感じた事を教えて下さい。

昨年の春くらいに、首にシコリみたいなモノを発見し、それが最初は1つだったんですけど、2つに増えたんですね。
痛みは全くなかったんですが、無かったモノが明らか増えたので、近くの耳鼻科で診てもらったんです。そうしたら、「ウチではちょっと判らない」って言われて、大きな病院紹介されて、そのシコリみたいなモノの組織を調べたら、がんだって言われました。

それを聞いても、「いやいや!そんなわけないだろう!」っていう風に思いましたね。
だって、タバコは吸わないし、酒もちょっとしかやらない。適度な運動もしてるし、元気だし、それなりに健康的な生活をしてましたから、急にがんって言われても最初は信じられなかったですし、何かの間違いだと思いました。

――すぐにご家族には相談されたんでしょうか?

がんと診断された後、一か月ぐらいは誰にも言えなかったですね。
自分は結局中咽頭がんだったんですが、最終的には入院しなきゃいけないとはいえ、最初はそれがどこのがんなのかっていう事もまだハッキリしていなかったし、自分の中で理解や説明があまり出来ていない状態だったので、嫁には言ってなかったです。まずはマネージャーには伝えました。 診断されてから1か月後くらいで家族に伝え、その後に相方にようやく伝えました。

――がんと診断されたことで、今まで活躍していた場所を失うかもしれないっていう危機感みたいなモノは感じられたんでしょうか?

自分の芸能界での立ち位置だったり、テレビだったり、舞台だったりっていう、自分の活躍の場が無くなるかもしれないっていう不安よりも、まず自分の命がかかってる状況で、「中咽頭がんにどうやって立ち向かうんだ?」っていうことの危機感みたいなモノを優先に考えましたね。

――がんと診断されてた時期、世の中はコロナ禍の真っただ中でしたが、それにも大きな不安を感じられたんでしょうか?

そうですね。やっぱ怖かった....闘病生活が始まると共に、抗がん剤治療や、放射線を体に浴びせる治療をするんですが、それにより免疫力も低下し、抵抗力も弱ってくるので、「この状態で、もしコロナウイルスに感染してしまったら、ダブルで危ない。」という状況でした。 病院側はそれに対してしっかりケアしてくれたんですけど、それでも面会は出来ないですし、ずっと独りぼっちで入院せざる負えませんでした。

「何としても治して、家族を守っていななきゃいけない」っていう思いが大きかった

――コロナ禍で面会すら出来ないとなると、気持ちもすごく落ち込んだと思うのですが、そういった状況の中で諦めずに頑張れた要因は何なんでしょうか?

大まかに言うと、「家族を残して、死ぬわけにはいかない!」っていうことですね。
まだ子供が小学生なので、僕が万が一いなくなって、嫁一人に子供二人を任せるって言うのは、嫁が可哀そうですし、「何としても治して、家族を守っていななきゃいけない」っていう思いが大きかったですし、その前に諦めるっていうこと自体考えもしなかったです。
だからお医者さんの言うことをしっかりと聞いて、治すべく行動をとって、病気に勝つっていうことしか考えてなかったですね。

――不安になる事はありましたか?

ありました。初めてのがんですし、すごい大がかりな治療なんですが、不安でした。
放射線化学療法っていう、放射線を浴び、抗がん剤を3回打つんですけど、それをやってくと、普通の病気の場合は入院する時一番体調が悪くて、退院に近づくにつれて、どんどんどん体調が良くなっていくんですけど、がんの治療の場合は逆なんです。
入院した時は至って健康体で、それが放射線や抗がん剤など、身体に猛毒のモノを投与するので、どんどんどん体が弱っていき、気分が悪くなってしまうんです。ほとんどの人がそうなるってことは、事前にお医者さんから伺っていましたが、その恐怖はありましたね。

――不安の中、家族にすら面会が出来ない状態でで、それでも闘病を乗り越えらえたのは、やはり家族の存在が大きかったんでしょうか?

そうですね。あとは応援してくださった皆さんのメッセージに勇気づけられました。
いろいろな方から「絶対帰ってくるって信じてます!
とか、多くのメッセージを頂いて、何とかその思いに報いたいというか、そういう気持ちが強く芽生えました。

特にサッカー関係の方からは、多くのメッセージを頂きました。浦和レッズの槙野智章君とすごく仲が良いんですけど、槙野君の呼びかけで、J1のほとんどのチームが応援メッセージを送ってくれました。
それを槙野君がVTRで繋いで頂いたんですが、、最初にあのキングカズこと三浦知良選手が「ワッキーさーん!」って言ってくれて!
そこからFUNKY MONKEY BABYS の「ALWAYS」って曲に乗せて、各球団の皆さんがグループショットで「ワッキーさーん!ワッキーさーん!ワッキーさーん!」って言ってくれて、「頑張って下さい!待ってますから!」っていうのコメントの最後に、あのイニエスタ選手が「ジョッキー頑張って!」って!まさかのワッキーとジョッキーを間違えるっていうオチもついたし(笑)本当に心温まるというか勇気づけられるVTRでした。

後はブラインドサッカー日本代表の方からも励ましのメッセージを頂きましたし、母校の市立船橋サッカー部からも、現役選手全員の寄せ書きが書かれたユニホームを頂いたり、ライバル校の流通経済大学付属柏高等学校サッカー部からもユニホームに応援メッセージを書いてもらったり、特にサッカー関係者からいろいろと勇気を頂きました。

お笑い芸人という職業は「素敵な職業だな!」っていうのことを改めて感じました

――多くの方々に支えられながらの闘病生活で、半年以上エンターテインメントの世界から離れてみて、エンターテイメントの価値や必要性みたいなことを考えられたりはしたでしょうか?

そうですね。僕の場合はお笑いに救われました。 僕自身が辛い時、「笑いたい!」って気持ちになったんですね。携帯で後輩のチョコレートプラネットの動画をよく見て笑ってました。
同じく吉本の後輩にもう中学生がいるんですけど、「何かオリジナルの歌を作ってくれ!」って言うと、すぐ即興で送ってくれて、それが面白かったですね。それを聞いて笑うことが、すごく自分を助けてくれたし、そして励まされました。

だからこそ、僕と同じように闘病生活してる人達も、動画やテレビでお笑いを見たりして、笑って励まされてるんじゃないかなっていうのはすごく感じましたし、お笑い芸人という職業は「素敵な職業だな!」っていうのことを改めて感じました。

――改めてお笑いの価値や必要性を感じられたかと思いますが、病気の時に落ち込むことも多い中で、やっぱり笑う事は大切なんでしょうか?

そうですね。笑っている時は何も考えなくて済むというか、闘病生活の中でも笑うことで、「こんなに気持ちいいんだ!」って思えましたね。

――改めてがん治療から復帰され、エンタメの世界に戻ってきて、エンターテイナーとして、今後どういった挑戦をしていきたいと考えられているでしょうか?

闘病してる時から思っていたんですけど、やっぱりコンビでやってるので、相方と二人で「コントやりたいな!」って強く思いました。吉本には東京はルミネtheよしもとがありますし、お客さんの前でコントやりたいです!
コロナ禍なので、ルミネもお客さんを満席にすることは出来ないんですけど、それでも生で目の前のお客さんを笑わたいと思いますし、今後もやっていきたいなっていうのは強く思いましたね。

――相方のヒデさんとは今後のあり方みたいなことを色々と話されたりしたんでしょうか?

そこまで細かく「今後こうしていこう!」みたいなこと以前に、まずは「ネタができるのか?」っていう段階だったりするので、相方もそこを心配してくれてます。
3月末に復帰一発目の舞台があるんですけど、僕は喉の中咽頭がんなので、喉のことを考えてくれて、何本かあるネタの中でも「喉の負担かからないようなコントの方がいいんじゃないか?」とかそういう話はしてくれましたね。

「これはいける!」って感じたら、そこにフルベットする

――ヒデさんとは30年以上の付き合いかと思いますが、闘病期間中、助けられたことは多かったんでしょうか?

高校の先輩後輩なので、30年以上の付き合いになります。まず自分が5月ぐらいに中咽頭がんだっていう報告をしたんですね。
その後は入院時や退院する時、ちょっとまた状況が悪くなった時とか、節目節目でしか連絡はしてないんですが、その度に「とにかく自分の身体のことを第一に考えろ!俺はもうずっと待ってるから!」って常に言ってくれました。そして「帰る場所は守っているから!」とも言ってくれました。
その言葉はすごい支えになりましたし、その言葉のおかげで、「焦らずゆっくり治すんだ!」とも思えました。

――そういった多くの支えがあったからこそ、エンターテインメントの世界に戻ってくることが出来たと思うのですが、今後のエンターテイメントに期待すること、エンターテイメントが世の中にどういう立ち位置であってほしいのか?について、ワッキーさんなりの見解を教えて頂けるでしょうか?

ちょっと前までは娯楽の王様はテレビだったんですけど、それがスマホで動画を見れるようになったことで、YouTubeや配信でエンターテインメントを楽しんでる方も多いと思うんですね。なんだったら「テレビよりも YouTube だ!」っていうような時代になってきてる。
それは僕らの職業にも大きく影響していて、お笑いやりながら YouTuber をやっている人もいるんですけど、どんな時代であれ、エンターテイメントは「常にファニーなものであって欲しいなー!」って思ってます。
僕が好きなお笑いは、あまり人を傷つけないようなお笑いが好きなので、それこそ亡くなられてしまいましたが、志村けんさんのような、子供から大人まで笑えるような、そんなお笑いが僕の中のエンターテイメントなんです。だから僕自身もそういったお笑いを続けていきたいと思ってます。

――今後もさらに色々と挑戦していくんでしょうか?

YouTube の世界は勉強不足で、まだ解らないことも多いですが、その中でも出来る事をやっていきたいと思ってます。自分で編集をしたり、そういう初歩的なところから始めていく必要があると思いますね。

自分たちはダウンタウンさんみたいな大スターではないので、食っていくためには、今の流れを無視することは出来ないなって思います。

――今までの人生の中で諦めそうになった時や、うまくいかなかった時、ワッキーさんはどうやって乗り越えてきたんでしょうか?

僕は高校時代、市立船橋高校というハイパーサッカー強豪校で部活をやっていたんですが、とんでもなくスポコン世代だったんですね。練習中に水を飲ませてもらえなかったっていうことが当たり前の世代だったし、それをクリアしてきた自負もあります。
なので、何か難関があった場合は、「あの厳しさに比べたら、こんなものは!」っていうふうにいつも心に言い聞かせてましたし、常に思ってましたし、今でもそれを思ってます。

出来ないんじゃなくて、やってないだけだ!

――最後にこの記事を読んでくれている方々に「夢見ることや夢を叶える秘訣、挑戦することの大切さ」についてメッセージを頂けるでしょうか!

若いということは、まだまだこれからいろいろなことにチャレンジ出来るので、たくさん失敗もするとは思いますが、失敗を恐れずに、いろいろなことにチャレンジしてもらいたいと思います。
小学生とかだと特にそうだと思うんですけど、出来ないって決めつけるのがちょっと早い方が多いと思います。そういった方に「出来ないんじゃなくて、やってないだけだ!」ってよく言うんです。

とにかくやってみて、やってみて失敗して、そしてその失敗を糧に、もう1回チャレンジしてみて、出来るようになった時の爽快感だったり、あの達成感だったりっていうのを味わって欲しいなって思います。
早い段階で「自分はこうだからもうだめだ。」とか、「自分は足が遅いからサッカー選手なれないんだ。」とか、「背が低いからバスケットボールプレイヤーになれないんだ。」とか、決めつけないで欲しいなって思いますね。

若いということは、それだけで無限の可能性を秘めてるので、もっとチャレンジする勇気を持ってもらいたいですね。

その上でやらずの後悔っていうのが一番良くない事だと思います。歳を取ってから、「若い時にあれやっとけば良かったな。」っていう後悔はして欲しくないなって思います。やってみて失敗することは多々あると思うんですけど、そこでの後悔っていうのは、後でやらなかった時の後悔と比べたら全然マシなんで、やらずの後悔だけはして欲しくないですね!

[STAFF]
Model : Wacky
Photography : Kyota Hashimoto
Hair & Make-up : Manami Honda(Ari・gate)
Movie Direction : Ryo Imai【kageiroha】

Creative direction & Text : Katsusuke Inomata【UMIDASU Co, Ltd.】